「ソフィアは、人前で祈ったりするのか?」
白い衣装の巫女は、戸惑った表情のまま、
「ええ、時々は・・」
と、答えた。
「よかったら、祈りの言葉・・詠唱って言うのか?教えてくれよ」
「ええ?」
ソフィアが、驚きの声をあげる。
「あの、ディオス様・・あの・・そんな・・」
左の手で、右手を包むように握る。迷っている。
「あ、待った。勘違いしないでくれ。気を使ってるとか、そんなんじゃないぜ。今、俺は純粋に聞いてみたいと思ったんだ」
自分に嘘はつかない。ディオスの23年間の人生のポリシーである。
「俺、人の為にとか、そう言う細かいことってすっげえ苦手だから。本当に自分で思ったことしか言わないから。安心して教えてくれ」
日に焼けた大きな手をいっぱいに広げて、自分の気持ちに偽りがないことを相手に伝える。

1度、聞いてみたいと思った。
戦いを、生きることの主軸に置かないものたちの言葉を。
祈り、というものを。

ソフィアはしばらく躊躇していたが、やがて握っていた両の手を胸の前に持って来て、
「では、ほんの少し・・でよろしいですか?」
はにかみながらディオスに尋ねた。
「おう、そうか!ひとつ頼むぜ!」
歴戦の勇者は、節の太い拳を握って笑った。笑顔はそのまま巫女にも伝染する。照れたようにソフィアも微笑む。

ひと呼吸おいて、巫女は目を閉じた。
「天にまします我らが母、ルシリスよ・・貴方の御名が讃えられますように・・」
ソフィアの穏やかな声が、天井の高い教会に静かに響いた。
外から、かすかに猫の声が聞こえた。
だが、それはディオスにとって意味をなさない音だった。
「貴方の光が、あまねく世界を照らしますように・・」
ひとことひとこと、どこかで絡まった人の世の歴史をひもとくように、幼子に昔話を語って聞かせるように、ソフィアの言葉はゆっくり、将軍の肩書きを持つ男の耳に溶け込んでいった。
それはディオスが初めて聞く、祈りの言葉だった。

やがて、ソフィアが目を開けた。
ふたりの視線がぶつかった。
「あ、あの・・」
祈りに没頭していたソフィアが、予期せず現実に戻ったようすで、慌てた。頬がかすかに上気している。
思わず、ディオスは吹き出した。
ソフィアは恥ずかしそうにマントの裾を掴んで、口元に引き寄せた。
「あ、悪い」
祈っていた間の神々しい巫女は、もうどこかに去ってしまっていた。残ったのは、まだ幼さの抜け切らない少女である。ディオスはこみ上げる笑いを抑えた。
ソフィアは拗ねたように、顔を背けている。
ディオスは、自分の肩よりまだ低い位置にあるソフィアの顔を、しっかりとは見据えないで、
「でも、ひとつ覚えたぜ」
「・・え?」
怪訝そうに、ソフィアが男の顔を見上げる。
「『ルシリス様、貴方の御名が讃えられますように』・・ほらっ」
得意そうにディオスが笑った。
「あら」
ソフィアが大きな瞳をまるくした。

ディオスは、先刻ソフィアがしていたのを真似て、胸の前で手を組んでみせた。
光の巫女が、嬉しそうに微笑んだ。
「それは、きっとルシリス様は、私がお祈りするよりお喜びになります」
「へ?何でだよ。俺なんかが片手間に祈るより、ソフィアがちゃんと祈ったほうが、ルシリス様もいいに決まってるだろう」
ディオスは首を傾げたが、ソフィアはかぶりを振って、
「だってディオス様は、今までお祈りの仕方もご存じなかったのでしょう?そんな方が1節でもお祈りの言葉を覚えられるというのは、とても価値のあることですよ」
にっこり笑った。
「そういうもんかね」
ディオスは頭を掻いた。

酔いが、大分醒めて来ている。
「さて・・ソフィアはどうするんだ?まだ祈るのか?もう随分夜も更けたが」
「ええ・・」
「時間も時間だし、よかったら宿舎まで一緒に戻るぞ」
「え・・」
ソフィアが、答えに詰まる。
ディオスは、またしまった、と思った。

何気なく言ったのだが、どうやら今の言葉も相手には引っかかるものだったらしい。
考えてみれば、夜半、それほど親しくも無い相手と一緒に歩いて戻るのも、苦痛かもしれない。
「あ、まだ祈るなら、別に・・先に戻るが」
精一杯、自分なりに機転をきかせる。
本音は、深夜にこんな少女を一人歩きさせるのはどうかと思っているが。
ソフィアは、困ったように口をつぐんでいたが、やがて、
「戻ります・・」
と、蚊の鳴くような声で漏らした。
彼女なりに精一杯だったに違いない。
勘の鈍いディオスにも、それは伝わった。
「ご迷惑じゃなければ・・」
後から、ソフィアが追加した。
答えは決まっていた。
ディオスには23年間生きてきて、曲げられないポリシーがあるのだ。
自分に嘘はつかない。
一分の迷いもなく、ディオスは応と答えた。

home  scroll top  03-2:das gebet[2]  04:der lowenzahn